「自分を見つめる」ということ

自分を見つめるとかっていうやつはいったいどういうことなのだろう?
統合失調症の人が自分を見つめてしまうとえらいことになってしまう。
統合失調症のリハビリには作業療法と言って手先を動かしたりする作業のメニューが用意されている。そうして自分自身のことを考えるよりもむしろ単純作業などをある程度の時間の間こなすことによって病気から徐々に開放されていくということなのらしい。「自由ある強制」ということがリハビリの概念の中にはあるのだと思う。
自分そのものを見つめることと脳みその中を変えていくことは違うことなのかもしれない。
外からの刺激によって刺激をうまく処理できなくなった統合失調症患者は単純な刺激を作り出すことによって、刺激を処理するすべを身に着けなおしていく。
さまざまな刺激の処理が滞ったあるいは乱れた患者の意識を変えていくのはやはり外界からの具体的な刺激なのだろう。

自分を見つめるということは多くの場合うまくいかないことが多い。本当に人間のあり方としてそういったものを重要視することに僕は疑問を感じずにはいられない。遊びの中にも自分を見つめるという行為が含まれているように、人間は自分を見つめる機会ということに対していろいろなレベルのようなものがあるのかもしれない。