眠剤変更
昨日の通院で眠剤が変更になりました。
以前使っていたものですが、量が増えました。
一晩眠ってみた感じですが、夜食は相変わらずなんですが、朝の目覚めがすっきりした感じです。
夜食には困っているのですが、何しろ習慣化しているので、ある程度は仕方がないのかもしれません。
習慣化しているものを治すというのは僕にとってはむずかしいことで、なかなか夜食の誘惑から抜けられずにいるのです。
でもまあ、目覚めた感じは快適なのでこれはこれでいいのかもしれません。
精神科の薬を服薬してからもう20年くらい経ちますが、薬というのはなかなかにして怖いものだということを今更ながら感じているという次第です。
これで夜食のくせが抜ければいうことはないのですが。
感覚異常がもたらす責任的行動への影響について
幻聴や妄想がひどかった時のことはすごく昔のことではないけれど、不快な症状だからなのか、僕の物覚えが悪いせいなのか、あまり気に止めることがない。
だいたい幻聴とか妄想とかいうけれど、統合失調症に罹患しているこちらとしては物事の見え方が不快な状態、という感じである。世の中が落ち着きの悪い状態で怖いのだからこれは仕方がなかったりもする。
ただ、幻聴や妄想が解けているという状態においては、幻聴だったねとか妄想だったねなどと言われてもあまりそれで、落ち込みはするけれど自分自身の行動に責任が取れないと思われることは心外に感じることがある。
しかしまた、過去に起こしたどうしようもないことについては、つまり自分の起こした、失敗した行動についてということなのだけれど、それについては僕の個人的な言動において、症状のせいにして処理してしまっていることが多い。
つまり大いに勝手な話で申し訳ないのだけれど僕はそんな風に都合よく生きているのだろう。
幻聴や妄想が僕個人的な感情(というか感覚)であることはだいたいにおいて僕自身にもすぐにわかる。幻聴や妄想が感覚の異常ということを言われて、ああそうだな、なるほどなと腑に落ちる気もする。
話はちょっとずれるけれど、社会において生きていくには自分の行動や言葉に責任を取らなければならない場面が必ずある。自分自身の存在が責任のような、なんといったらいいのか、取り敢えず責任的行動を取らなければならない。
僕の場合、責任的行動に能わないことも多々あったりする。それはごく日常的なレベルから、つまり、この人はしっかりしているかどうか、というレベルからの始まりだったりもする。
幻聴や妄想は責任的行動をとるための自信を奪う側面があるとおもう。
社会的責任のとれることをしたいけれど、症状のせいで感覚が被害妄想的だったり、そんな状態に陥っていたことについてあとから自覚し自信をなくす。そんな状態が繰り返されているような気もする。
結局そんな苦しみの世界を生きているのかなと思ってみたりもする。
こうして書いたけれど今日はあまりうまくは考えられなかったような気がする。
まあぼちぼち頑張ります。
水の飲み過ぎ、夜食について
水の飲み過ぎには困ったものだ。いつも日中「これは飲みすぎているだろう」と思って案の定夕方具合が悪い。
飲み過ぎの症状としてははっきり特定するのは難しいのだが、ぼうっとして独特の疲労感、目のあたりが落ち着かない、全身がだるく落ち着かないという不快感である。
これに加えて夜食の危機、つまり僕は睡眠薬服用後の夜食の摂取が習慣化しているわけでずいぶん思えば憂鬱な話でもある。
習慣的な夜食という話では、なぜかGHの夕食サーヴィスのない土日には比較的起こりにくい、ということは夕食の量はもっと減らした方がいいのかとも思うけれど定かではない。
あと、夕食後に入浴の習慣を取り入れると夜食のリスクが激減するということ、つまりよく眠れるってことですね、が分かっている。
水の飲み過ぎについては一晩眠ると疲れはリセットされたように感じずに済む。
今日も一日、水の飲み過ぎに気を配って生活したいものである。
夕食後に疲れすぎていて面倒くさく入浴できないことが多いけれどなんとか入浴習慣を取り入れ、夜食の習慣を改めたいものでもある。
久しぶりの更新ですね
久しぶりの更新ですね。
昨年12月4日付で職場は退職となりました。
内心はどうかというと、どうということもないという気持ちと、どうなのかな、という気持ちが、せめぎあっているというところでしょうか。落ち着かない気持ちはまだ、続いています。
思えば落ち着かない状態がずうっと、GH入居の時から続いています。自分の状態は刻々というように、変わっていますし、それはいわゆる病状ということを含めて、そうなのです。だいぶ回復に近づいた気がします。
矛盾する言い方ですが、かりそめながら、今はとりあえず落ち着いた瞬間が持てることもあります。一区切りついたからでしょうか。